読書会備忘録⑶ 「医療と教育を結ぶ シュタイナー教育」
講演一 教育の原則とカルマおよび輪廻転生との関係 --1998年2月15日
三つの問い
最初のヴァルドルフ(シュタイナー)学校が設立された78年前と同じように今でも新しいのかどうか
1) この教育は本質的に、本当に現代に対応できるのでしょうか?
これは、「まえがき」でも触れていました
学習障害や行動障害の増加、テクノロジーの進化、急速な時代の変化の中で
現場の先生方も親たちも、自分が育った時の経験では計りきれない
全く違う子供達に向き合いつつ、変わるべきところ&変わらぬべきところの 駆け引き
第二のテーマは、行動の顕著な変化は健康状態の変化を反映している
今は、健康な子供がしだいに稀な、何か特別なものになりつつある
骨格的障害がたくさんみられる
注意欠陥障害等の認知の分野でも多くの問題がみられるが、その元にはすべて、脳障害、遺伝障害、身体障害などの生理学的障害があることを医師たちが徐々に発見しつつある
と指摘した上で、
シュタイナーには、健全な行動も、魂による健全な思考・感情・意思の能力も、健全な霊の働きも、それらの発達に必要な身体的条件を整えることができなければ手にしえないことは、まったく明白なことでした。
どのような身体条件を指摘しているのか気になるところですが
講義ニで深く分け入っていくことになるので、ここでは問題提議のみ
ただ、
普通「教育」といえば、勉学・如何に広い知識を学ぶのか、もしくはテストの成績を如何に上げるのかに注目を集めている昨今の教育志向の中で、
シュタイナー教育の焦点として、健全な人間の成長という土台の上で『自由への教育』それはまた、健康を志向する教育なんだと… 深い…
魂が元気で意欲的であれば、子供たちはスポンジのように自ら知識を吸収していく…
実際に、我が家の子供達を目の当たりにして納得することがよくあります。
学ぶことが魂の栄養になっているような授業に参加しているとき、更に体特に骨格系がしっかりしてくるような、言動もしっかりして眩しいです
それに反して、そんな風な授業に成っていないときは、グダグダ グチグチしてますかね〜
2) 私たちに必要なのはどのような健康を志向する教育でしょうか? そして、ヴァルドルフ教育にこの現代の子どもたちに役立つ健康志向を見出すことができるでしょうか?
三つ目のテーマは、明日の世界を築けるように、時代の特徴を見据えて彼らをどう教育すべきかですが、ここはぐっと腹の底を掴まれるような切実さを感じました
アウシュビッツの収容所で母親を亡くす恐ろしい経験をしたユダヤ人哲学者の例が引用されて、
彼は自問します。
アウシュビッツの残虐行為が起きたとき、神はどこにおられたのか?
彼はその問いを抱いて生きました
やがて自力で答えにたどり着きます
愛に重きをおくものであると
「神はアウシュビッツにいた。愛は苦しみに打ち克つ大きな憐れみを生み出すことができる」と
私たちはどのようにしたら、そのように邪悪な魂を理解できるようになれるのか
どうしたら悪魔が意思決定のまさに中心で人間の発展に関与している事が分かるのか
私たちはどのように自分自身の自由に、また他人の自由に向き合っているのか
誤ちのない、悪魔の存在しない自由が考え得るでしょうか
古代ギリシャ時代には、自由は単に政治的次元の問題であり、まだ個人の能力ではありませんでした。この個人としての自由は現在発達しているところです。それは、人間は誰でも悪魔の問題に直面せざるおえないということを意味しています。ですから私たちは、悪魔を直視し、それを組み込み統合した教育、各人の発達が実際にどれほど重要な問題であるかを気づかせてくれる「障害物」としての悪魔が必要であるような教育を必要としています
3) 子供たちが明日の世界を築けるように、私たちはこの時代を深く理解することができるのでしょうか?
平たくいえば、『七転び八起き』、『可愛い子には旅をさせろ』、『
苦労は買ってでもせよ』、『獅子は子を谷底に落とす』的な感じでしょうか
悪魔=成長の糧としての失敗、苦労、学び体験
コトナカレ主義として穏便に隠すのではなく、
真逆で、むしろ起こったコトを踏み台にしてその先へ自由へ一歩進んでしまえ!
悪魔と言われるとチョット引きますが、タロットカードの『悪魔』を思い起こします
あれは、不吉なカードに思われがちですが、
「さあ〜現実を直視して、あなたを捉えているのは貴方自身、自分の意思でその鎖から自由になりなさい。恐いだろう、足がすくむだろう、その障害物こそが貴方をそこから立ち去らせるギフト」
愛に重きを置いたとき、勇気をもってそこから踏み出せる
そんな教育を
つづく (o^^o)
💖