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読書会備忘録 (10) 「医療と教育を結ぶ シュタイナー教育」

何に強い関心を持っている子供だった? 何か前世のリフレーンのようなもの...

《シュタイナーによる教育原則》

自己観察と自己経験の道として教育的観点から輪廻転生とカルマを視野に入れ、
 人間の成長のプロセスを理解し、自分のクラスに座っている生徒たちに生かすこと

カルマを視野に入れた自己観察の四つの領域:

第一レベル 「自我の領域」集中力と意識性をもって、ここで起きていることに目を向ける
第二レベル 感情体・アストラル体「自己経験 / 記憶の領域」驚くほどの偏見や過去の記憶や未来についての観念に結びついている
第三レベル 生命体・エーテル「生活習慣の領域」基本的行動+生活習慣が生活上の判断に大きく影響を及ぼす
 
第四レベル 肉体「肉体の領域」身体的な力の及ぶ範囲に私たちは限定され、カルマ的状況をつくる 

読書会備忘録(6)〜(10)を通して、私たちが経験する四つの領域についてが出揃いました

普段は漠然と全てをごちゃ混ぜにしているので

こうして整理されると改めて ”様々な層の重なり合いの「自分」” が存在しているんだなぁですね

まずは、

四つのレベル:まとめ

集中力と自我存在の領域で自分を分析して、

「自分がほんとうに存在する瞬間とはいつか。自分の自我は何に関心を持っているか。十分に集中しているとき、私はどこにいるのか」

と自問してみますと、

自分が、おそらく限られた関心をもって、ある特定の観察点に立っていることがわかります。

しかし、また、自分の個人的な動機がすべてこの自我世界に依っていることも、
自分が望めば何にでも関心を持てる可能性のあることもわかります

この意識と集中力の自我世界はもっとも解放された柔軟な世界であることが経験できます。
それは無限の可能性の世界です。

ドラマの主人公の人生を例えにすると考えやすいです

しばらく前の朝ドラの「花子とアン」の主人公が、厳しい現実の合間に想像の翼を広げて
柔軟な心の世界を解放していましたが、自我世界の観察という視点からは「夢見がち」とは違うと思うのです
けれど、人生のある種の牽引があって「翻訳や児童文学」に強い関心を持った人生でした

やはり朝ドラの「あさが来た」の主人公が、周りに反発されても商売への溢れる関心に突き動かされながら
周りを巻き込みながら、時代の波を渡っていった生き様も思い起こされます

彼女は超裕福な家に生まれ、心身ともに強く、それこそ無限の可能性を現実に生きられる機会に恵まれていましたが
「金融」に特化した関心が強かったし、彼女の姉は「良妻賢母」に特化した強い関心がありました

思えば、私も子供の頃からある種の強い関心に牽引されて人生を生きています

私の子供達が小さい頃に、それぞれが特定の強い関心を持って遊んでいることを面白く観ていました

子供時代は、前世から持ち込んだ関心にフィルターなしで素直に反応してますよね
夢中で遊ぶ中で
ごねて泣いて親を困らせている中で
様々な場面で
精一杯無限の可能性と前世から持ち込んだ関心の狭間で生きているのを
私たち親や先生が観ていてあげることは大事です

幼いながらも特定のこだわりを持ってますね


今、ティーンエイジャーになった息子がこれから人生をどう進んでいこうかを考えていて
そんな時
小さい頃どんな強い関心を抱いてどんな風に遊んでいたかを話してあげる

当の本人は幼くて覚えていられない代わりの記憶媒体みたいに

それが引き金になって、心の深い底に沈んでいるモノが彼の表面の意識に立ち登ってくる

成長途上の今の自我を携えて

その輝きを蘇させ始める

夕食後とかにフトそんなことを語り合う、そんな夜のひと時はとても深く面白い会話に弾むのです

 

そう、その強い関心は、どこから来ているのかという話です

その他の領域では、私たちはもっともっと多くの限界を経験します

魂の原型ー思考、感情、意志ーには限界はありません
 思考生活においては、すべてを理解する可能性をもっています
 感情生活では、すべてのものに共感を感じる可能性をもっています
 意志については、どのような能力でも学び発達させる可能性をもっています

しかし、自己を探求することによって、自分が魂のレベルで制限されていることを経験します
私たちが以前の人生からの個人的なカルマに出会うのはそこにおいてです

 ほうほう、なるほど... そして、

今世の魂のレベルの限界ーーー前世の自己認識・注意力・関心の結果
今世のアストラル体領域での限界ーーー具体的・現実的な記憶または、前世でずっと活動していた自我の実在の刻印
今世の習慣の領域での限界ーーー前世のアストラル活動の刻印
今世の肉体領域での限界ーーー前世での行動や習慣の刻印

自我領域において、今世では私たちは開放され自由で無限なのは、前世の悪い体験も良い体験も全ての刻印は現在のアストラル体に入っているから
つまり
アストラル領域において何か気に入らなく思うとき、私たちは前世で活動していた自我の特徴に出会っているということ

問い

自分の魂の旋律を観察する

「何かリフレーンのようなもの、私の前世の運命の形、伝記の記憶のようなモノはないだろうか。そして今、私は、自分の人生の旋律や、自分の魂の限界が私に示す、私自身のある種の特徴にふさわしい仕方でそれに応じているだろうか?」 

自分の習慣を調べ、それを研究して、この領域に刻印されているモノは何か

「今世において生命力と習慣の領域で出会う特別な限界は、前世のアストラル活動の刻印ではないだろうか?」

「今世でどんな肉体の限界と形い出会うかは、前世での行動や習慣がどのように確立され、それが私にどのような人生を送らせたかということの刻印ではないだろうか?」

 

少しの間、実際にご自分とお子さんをこのように観察してみてはいかがでしょうか

何に出会うでしょうか✨ 面白そうじゃないですか

 

備忘録を書き上げているうちに、明日はお楽しみの読書会の日です!

参加している人たちの、何かリフレーンのようなものを聞いてみたいです

これを読んでくれているあなたの何かリフレーンのようなものは何でしたか

また備忘録を更新します
お楽しみに

つづく

💖