読書会備忘録⑹ 「医療と教育を結ぶ シュタイナー教育」
「私」というものを経験する領域
シュタイナーによる教育原則とは、
輪廻転生とカルマを教育的観点からみようとする方法|自己観察と自己経験の道として
まったく暗示によらず、自分の以前の人生についての認識を得られるように
その自己観察と自己研究ができるには、どこから始めたらいいのか
以後、数回に分けて四つの領域の紹介が続きます
第一レベル:自我の領域
自分がしっかりした基盤の上に立っているという確信は、
いったい何が私にもたらすのでしょうか
いまどきは、まず、その確信が得られなくてって
ところからかもしれない😅
私たちには「私」というものを経験する領域がある
ということに気がつくと役に立ちます
皆さんは私の言葉に耳を傾けながら(このブログを読みながら)
今を生きています。この導入部分の話や考えを追いながら、
同時に何か別のことを考えたりしているかもしれません。
皆さんは
今を生きています
これが私たちの自我の領域で、
そこには常に「私」が活動をしています。
それは
私たちを、過去に邪魔されることなく
常に新しく解放してくれる力です
私たちは目覚め、そして考えながら生きています
それは意識性です
集注力です
自我の経験は集注力の経験です
ここで、最近スプーン曲げに挑戦したって話題が飛び出て盛り上がりました
読書会の醍醐味!
みんながそれぞれの印象を自由に持ち込んで
シェアしあえるのがすごくおもしろい♫
スプーン曲げって、曲がることを完全肯定して、それが世界の常識フツーってくらいなレベルまでくると、曲がるらしいんです。
でも、曲げたいと念じて、集注している時って、
無意識に曲がるわけないじゃんていうスタンスで、
曲がること完全否定を意識的・無意識的に無視してます、努力真っ最中、ってわけで、
結局、曲がらない、
で、ほらやっぱりねってとこに、なぜか安心感を抱きつつ失望してる
っていう自分を観察してる...みたいな、
で、曲げようとしていた時って、
ある意味、「今を生きている」体験だったよね、と。
自我領域の超体験
注意欠陥障害、ADDとは、私たちが自我の能力を全面的に取り戻そうとする問題です。この症候群と闘っている人々は自分の自我存在を取り戻そうと闘っているのであり、彼らは自我存在の部分的欠損に苦しんでいるのです。
これは、新鮮な新しい見方へ私の目を向けさせてくれました
私たちは自我が存在するとき、集注することができます。
注意を集中する熱の力をもって、
今ここで起きていることに目を向けることができます。
焦っていて集中できないのって、
自我を見失っているからなんだー、とか
過去のことを引きずっているときって、
今に生きてないから、自我も弱まっているんだろう、とか
今度、スプーン曲げにも挑戦してみよう❤︎
つづく😊
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